以前詩を書いてました
10年ほど前、詩を書いて、現代詩フォーラムとかぽえ会(日本WEB詩人会)とか2chの詩板に投稿をしていました。楽しかったですね。
当時はネットで詩を公表するのが盛んで自作詩のホームページ(ブログではない!)も多く、先程のコミュニティへの参加者も多く、投稿するとすぐレス、今で言う「いいね」がついていくのが面白かったです。オフ会は参加したことはありませんでしたが、顔も知らない知り合いが増えていきました。
基本、会社から帰って夜寝る前までに、投稿したりレスを返したりしていたが、ネットは実生活とは違う楽しい空間でした。今でもそういうコミュニティはあるんでしょうか?
今は詩を書かなくなって、そういうサイトからずっと遠ざかっていましたが、久しぶりに覗いてみましたら、ぽえ会はもうなくなってしまったし、現代詩フォーラムもずいぶんさびれているような気がします。5chの詩板も閑古鳥が鳴いてますね。
作詩のマクロについて
それで今回はそういう懐古趣味について書きたいのではなくて、当時作詩をするときに使っていた、自動作詩プログラムについて考えるところがあってそのことを書きます。
当時日本語の文法を勉強して(日本語文は主語が必ずしもあるわけではないんですよ、知ってましたか?)名詞、動詞、形容動詞、副詞、格助詞とかそういうのを組み合わせて副詞句とか動詞句とかを作って文章を自動で作り上げる、そういうマクロをエクセルで作って作詩の時に利用していました。有名詩人の詩から先程の要素(形態素)ごとに分解したデータベースを作って、ランダムに組み合わせる。文節ではなく文節を作ることから行うので元の詩とは全く異なる表現になります。当然意味不明の文章の羅列です。
まあ詩は手垢のついた表現からいかに抜け出すか、跳躍があるかの勝負みたいなところがあるので、そういうランダムな言葉の組み合わせに中にはハッとするようなものが生じることもあるのです。それを作詩に利用していました。
俳句を自動で作る難しさ
まあそんな感じで、最近テレビの「プレバト!!」とかで俳句に触れる機会があり、今度は俳句を作ってみようかなと考えています。
以前作った自動作詩マクロを改良して、というか575の音数になるように既に修正済みではあるのですが、それを使って作ろうかと思っていたのですが、俳句について書いた本『「入門 俳句の表現」藤田湘子著 角川選書』を読んで、そんな簡単なものじゃないなと実感しているところです。
その本に曰く、
しかしながら、五・七・五のひびきのよろしさも、季語の一つ一つの連想力の微妙な差異も、切字のもたらす省略や格調の効果も、みんな忘れたようなぐうたらな作が、このごろは増えてしまったのである。三つの要素を活かした、形式美を追求しようとするこころをきびしく持たぬと、佳句にはめぐりあえぬことをよくよく承知する必要あり、なのだ。
「入門 俳句の表現」藤田湘子著 角川選書
と手厳しい。安易に動詞を使いすぎるとの指摘もなされていました。
自動作詩の結果はこれとは真逆です。冗長な表現になるし、元の詩にあった言葉同士の関係がもたらす効果がずたずたにされたもの同士を再度組み合わせても、失った輝きを取り戻すことは出来ません。ましてや、俳句は省略の芸術らしいです。何を書かないかが求められる。そういう言葉の選定の微妙な効果を見極めることなどマクロでは到底不可能です。
自分の頭で一から作るとなると、そういう才能はないし、果たしてどうしようかな、俳句作ろうとするのやめようかなとか考えているこの頃です。
ちなみにネットで検索したら、冬の俳句自動作成 (春夏秋冬あるみたいです)というのがあって、よく出来てますが、これは最小の単位(形態素)から作っていないんじゃないかな、と思いました。
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